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略歴


雨宮 処凛(あまみや かりん)

1975年、北海道生まれ。

作家・活動家。

愛国パンクバンドボーカルなどを経て、2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。

以来、いじめやリストカットなど自身も経験した「生きづらさ」についての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。

06年からは格差・貧困問題に取り組み、取材、執筆、運動中。メディアなどでも積極的に発言。3・11以降は脱原発運動にも取り組む。

07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)はJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。

「反貧困ネットワーク」世話人、「週刊金曜日」編集委員、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、「公正な税制を求める市民連絡会」共同代表。

経歴

1975年 北海道で生まれる。
1980年代

いじめ

幼少時よりアトピーに悩まされ、中学ではいじめを経験。

1990年〜

リストカット、そしてバンギャ

高校生となり、いじめからは解放されるもののその頃からリストカットが始まる。

同時期、世はバンドブーム。ヴィジュアル系バンドの熱烈なファン=バンギャとなり、追っかけを始める。

1993年〜

就職氷河期、フリーターに

高校を卒業して上京。美大を目指して予備校に行くものの、二浪して進学を諦める。

気がつけばバブルは崩壊し世の中は「就職氷河期」に。

1994年〜 景気回復までのつなぎのつもりで、19歳でフリーターに。以降、フリーター生活は24歳まで続く。

ウエイトレスやレジ打ち、キャバクラなどさまざまな仕事をしたが、フリーターを始めて半年で、「この生活から抜け出すことは難しい」ことに気づく。

仕事は不安定。突然クビになることもザラ。圧倒的な低賃金で電気やガスや電話が次々と止まるという貧困生活に。この頃の経験が、のちに貧困問題に取り組む動機となる。

1997年〜

右翼団体入会

貧乏で不安定すぎて先が見えないフリーター生活の中、何を血迷ったのか22歳で右翼団体に入会。

「頑張れば報われる」という一億総中流の神話の中で育ったものの、自分が社会に出る頃にはバブルが崩壊し、「頑張っても報われない社会」が到来したことを身に沁みて感じていたため、「これからは政治や社会のことを本気で考えなければ」と思ったことがきっかけだった。

右も左もわからないまま「右翼とか左翼の人たちは政治に怒ってるっぽい」という程度の認識でまず左翼の集会に行ったところ、専門用語ばかりで何を言ってるのかさっぱりわからず、次に行った右翼がむちゃくちゃわかりやすかったという理由で即、入会。

ちなみにその時右翼が言っていたのは、「今の若者が生きづらいのはアメリカと戦後民主主義のせい」という内容で、よくわからなかったが初めて「お前は悪くない」と免責してくれたのが右翼だったというわけである。

1998年〜 右翼団体入会翌年、小林よしのり氏の『戦争論』が出版されてベストセラーに。

「新しい歴史教科書をつくる会」などの動きが活発になっていた。この頃の自分と『戦争論』の関わりについては、著書『ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」』にて。

1999年〜 2年間活動したが、自分は右翼ではないということにだんだん気づき、また思想に依存しているという思いから右翼団体脱会。

抜けた理由のひとつには、右翼団体の勉強会で「日本国憲法」についてのディべートがあり、初めて憲法を読んだこともある。右翼のくせに憲法前文にうっかり感動してしまい、「なんで右翼は憲法改正なんだろう?」と疑問を持った(それまで読みもせずに「改正」とか言ってた)。

詳しくは、当サイト内の「私の東京物語」を。

2000年〜

作家デビューへ

右翼団体を抜けるまでの半年間がドキュメンタリー映画『新しい神様』(監督・土屋豊)という作品になる。

映画はベルリン映画祭や香港国際映画祭などに正式招待され、日本国内でも劇場公開されることに。
それをきっかけにメディアに登場するようになり、出版の話が来て、デビュー作である自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)を出版。

以降、『自殺のコスト』(太田出版)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)など、いじめや生きづらさ、自殺などをテーマとした執筆活動に取り組む。

2005年〜 いじめを題材とした小説『ともだち刑』(講談社)を出版。
2006年〜 自身のバンギャ時代を題材とした小説『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)を出版。

貧困問題との出会い

生きづらさや自殺をテーマに執筆してきたが、この頃から、背景には構造的な問題があるのでは、と考えるようになる。

そんな時、たまたまネットで知った「自由と生存のメーデー プレカリアートの企みのために」というメーデーに参加。

生きづらさや自殺の問題が、行きすぎた競争社会や、自己責任論をことさらに強調する社会のあり方と深く関連しているという内容の講演を聞き、そのままデモに繰り出すと若者たちが「生きさせろ!」「月収12万じゃ生きていけないぞ!」と叫ぶ姿を見て突然覚醒。
この日から、格差や貧困問題をメインテーマとして取材、執筆を開始。「自由と生存のメーデー」の呼びかけ団体であるフリーター労組に加入し、それまで肩書きは「作家」だったものの、この頃から「作家・活動家」と名乗り、デモの実行委員などもつとめるようになる。

2007年〜 貧困問題が社会的な注目を浴び始める。

宇都宮健児氏を代表とした「反貧困ネットワーク」が結成され、副代表に就任(2021年現在は世話人)。
以降、同ネットワークは貧困問題に幅広く取り組む団体として政策提言などを行なっている。

この頃から、「貧困問題の論客」として、『朝まで生テレビ』をはじめとするメディアに登場するように。
一時期は「ネットカフェ難民の女神」という、「下町のナポレオン」みたいな呼ばれ方をしていた。

貧困問題について書いた初の著作、『生きさせろ! 難民化する若者たち』がJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。

2009年〜 厚生労働省のナショナルミニマム研究会の委員をつとめる(2010年まで)。

以降、貧困問題に取り組み続ける。

2020年〜

コロナ禍での困窮者支援、始まる

3月 反貧困ネットワークが呼びかけ、貧困問題に取り組む約40団体で「新型コロナ災害緊急アクション」が立ち上げられる。

4月 相談フォームを開設。
以降、連日、コロナで困窮した人々から「家賃滞納で家を追い出された」「所持金100円以下」「ホームレスになった」などのSOSが寄せられている。

連日、支援者が駆けつけ、公的支援などにつなぐという取り組み。
そんなコロナ禍で、これまでの15年間、貧困問題で培った知識を活かし、自らもボランティア相談員として現場に出るように。
以下、これまでに相談員をつとめた相談会など

  • 2020年4月より2ヶ月ごとに開催している「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守るなんでも電話相談会」
  • 2020年から2021年にかけての年末年始に開催された「年越し支援・コロナ被害相談村」と、同時期に開催された「年越し大人食堂」
  • 2021年3月に開催された「女性による女性のための相談会」

6月 「反貧困犬猫部」を立ち上げる。
きっかけは、コロナ禍、ペット連れでホームレス状態になる人々と出会ったこと。ペットフード代や宿泊費、医療費など、飼い主とともに住まいを失ったペットを支援をする取り組み。
反貧困犬猫部では、つくろい東京ファンドの「ボブハウス」(ペットとともに入れるシェルター)の支援もしている。

2021年4月 怒涛の2020年の活動をまとめた『コロナ禍、貧困の記録』を出版。

これまでの著作は50冊以上。
いくつかの著作は韓国、台湾で翻訳出版されている。
ちなみに『生きさせろ! 難民化する若者たち』は韓国・文在寅大統領の『文在寅の書棚』という本で、愛読書として一番最初に登場している。

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